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夕暮れ時に友人から電話をもらって、久しぶりに20分くらい話しました。
同じ仕事をしていて、興味や大切にしているものが似ていて
でも、似ていない部分もあって、やりたいことの大きさやスピードも違って
方法や手段が違ったり、でも似ているものもあったり、
その違いをただそのままお互いに受け入れながら応援し合えるような関係、
嬉しいなと思いながら、最後は彼女の具体的な夢の話を聴いていました。

先日ある勉強会で聞いた言葉は
「女性は、友だちを選ばなくてはならない。女性の友達は2種類、
頑張って、と応援し合える関係か、足を引っ張り合う関係か」
そんな内容でしたが、なるほどなと思いながら聴きました。
足を引っ張らずに背中を押して応援し合えるような、そんな友人は有難いなとも思います。

ずっと昔は、人と違うことが不安で苦手でした。
みんなと違うとよくないような、誘われたことを断るとそれで仲間外れになるような
そんな不安を、ずいぶん長いこと抱えていたような気がします。
自分のしたいことはどんなことなのか、そのためには今何をすることが大切なのか
時々迫られる選択の中で「自分はどうしたいのか」を大切に物事を選べるようになったのは
ずいぶん年を重ねてからのような気がします。
お互いを大切にする関係の中では、
相手のことを責めるより相手の考えは相手の考えとして認めながら
相手を責めたり正しさを主張したりせずに、
ただ「今の自分が選びたいのはこれ」「今自分が一番大切にしたいのはここ」など
自分がどうしたいのかをただ伝えられるようになりました。

同じように学んでも、やりたいことや進んでいく道はそれぞれ違ったり時々同じだったり
自分と違う視点があったり、考え方や感じ方がある。それでいいのだと、心から思えたときに
「自分も相手も大切にしながら、自分を大切に生きる」ことが出来るような気がします。
それぞれの違いを認め合いながら生きる関係の中では、
ひとより優れることも、無理をして合わせることも、誰かに勝つ必要もなく
そのまんまの自分を素直に相手に見せられる感じです。
そのために必要なことは、ただお互いを認め合うことなのですが
できるようになるのは、結構難しいですね。
人との関わりを生きるとは、それを問い続けることのような気もします。

ゲシュタルトの祈り
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

ゲシュタルト療法の創始者、F.パールズの祈りです。
折に触れて、何度も何度もこの意味をかみしめます。
私は私、あなたはあなた。みんな違ってみんないい
そんな言葉を改めて噛みしめたくなった、夕暮れの友人との穏やかなひと時でした。